2023年度公益事業学会賞
『船舶事故調査〜タイタニック、洞爺丸から運輸安全委員会まで〜』
大須賀英郎(ミネルヴァ書房、2023年)
本書は、欧州に始まった船舶事故調査と海難審判の歩みを総覧し、かつてない精度と分析力で、日本の海難審判制度の課題と解決策をも明確に示している。戦後の船舶事故調査制度の歴史の全体像を批判的に叙述するためには、学際的な観点が不可欠である。著者は様々な分野の資料を豊富に用いてこのハードルをクリアし、全体を通じて説得力のある叙述を展開しており、わが国の船舶事故調査制度の現代化は決して容易ではなかったことを読者に理解させる。
具体的に評価すべき点としては、まず海外の19世紀の船舶事故調査について丁寧に説明している。そして、1912年のタイタニック号事故の克明な調査概要と同時期のドイツ・フランス・オランダ等の船舶事故調査と明治以降の日本の海員審判を比較している。1947年からの海難審判庁による海難審判制度については、同制度のメンバー構成や構造的弱点を指摘し、海外の知見からの学びをどう取り込むべきであったかを明らかにしている。これらはいずれも公益事業研究として過去を振り返る重要な視点をもたらしたといえる。日本が2008年に導入した運輸安全委員会及び事故調査報告の枠組みについては、20世紀後半以降に欧州・米国で発足した事故調査組織の活動を十分に分析した上で、海難審判庁時代から大幅に内容が改善したと認めつつ、残された透明性の確保(情報公開の上での課題)、被害者支援、鑑定責任等の課題があったとする。こうした指摘は関係当局や事業者からは通常困難であり、公益事業研究の役割として非常に評価できる。海事関係実務に長年携わった著者であればこそ、わが国の船舶事故調査制度の歴史的展開を丁寧に叙述しつつ、戦後60年間維持された海難審判法の下において、船舶事故調査に内包される構造的な問題を明らかにすることができたのである。海難審判庁が機能不全に陥り所期の目的を果たすことができなくなった状況を法改正後の運輸安全委員会が克服していったことを鮮やかに描き出した手法は、本書を他に類例がない研究書にしている。
本研究にはテーマ選択に独創性がある。そして関連資料の渉猟を通じた緻密かつ説得的な分析及び論証から現行制度の課題指摘に至るまで、本研究は今後の船舶事故調査の研究に寄与することが大いに期待でき、非常に貴重である。
2023年度公益事業奨励賞
『地上波テレビ放送局の番組編成差別化と広告価格に関する実証分析』
渡邊祐作(公益事業研究 第75巻第1号、2023年9月)
本論文は、主要地上放送局(地上波民放)5局による番組編成の差別化が、各放送局のスポット広告価格に与える影響を分析したものである。動学パネル分析を用い、番組のジャンル分類データから各放送局の番組編成の差別化を指標化するとともに、番組編成が差別化されるほどスポット広告価格が高くなることを実証的に示し、その変化により放送局の市場支配力が高まるとしている。また差別化指標と収益性の関係から、番組編成の多様化が自発的に進む可能性があるとしている。ここで本論文の新規性・貢献度・論証可能性・再現可能性・論文の完成度といった点を評価する。新規性については、ウェブから関東地域の民放局の番組データを収集し、各局の番組編成の違いを示す独自性(差別化)指標を計測し、先行研究にはなかった分析を行っている点にこれが認められる。貢献度については、先行研究と比較して詳細な区分に基づいた新たな指標を作成し、これを用いて分析を行うなど、放送メディア分野の実証研究の課題克服について認められる。実証上の課題を踏まえていることと公開データを利用していることから、論証可能性・再現可能性も維持されている。論文の完成度については、研究課題や先行研究に対する本研究の位置づけが明確にされており極めて高いと判断できる。なお、丁寧な論述がなされているという観点から特に優れている3点を列挙する。1先行研究のポイントを的確にまとめて自身のリサーチクエスチョンを導出している、2説明変数の作成に当たって季節調整を行うなど細心の注意を払っている、3動学パネルを使用する中で複数の検定を行うなど、モデルの定式化について十分に検討している。
地上波放送サービスは、視聴者に対し無料で提供されることと広告価格データが公開されていないことにより、実証分析が難しい分野の一つと考えられてきた。研究の蓄積も少なく、分析は手探りの状態で行わざるを得ない。この点、経済学の視点から放送局の番組編成戦略の問題に取り組んだ著者の意欲を評価したい。現在、地上波放送局は、電波を使った送信からインターネットを介した配信へと事業戦略を転換しつつある。著者が今後、この問題に関しても検討領域を拡大し、放送産業についての研究を継続されることを期待したい。